仙巌園

osa

2020年01月24日 05:00

島津家別邸「仙巌園」は、

鹿児島にある、日本を代表する大名庭園。

桜島を望む雄大な庭園と、

殿様が暮らした御殿が素晴らしい。



一昨年の大河ドラマ(せごどん)でも

撮影に使用されていましたよ。







島津家の別邸として築かれました。

御殿は、29代忠義の代には一時本邸として、

また国内外の要人を招く「迎賓館」としての役割も果たしました。










お隣には、島津家に関する史料を展示する博物館「尚古集成館」や、

薩摩切子の製造を見学できる工場もありました。







仙巌園は、

万治元年(1658年)年に島津家19代光久によって、

島津家の別邸として築かれたそうです。

御殿は、29代忠義の代には一時本邸として、

また国内外の要人を招く「迎賓館」としての役割、

邸内の美しい装飾、

建物から望む桜島の絶景がすばらしいと聞いていましたが、

あいにくの天候で、桜島を見ることができませんでした。








薩摩の迎賓館

仙巌園は「迎賓館」として使われたそうです。

幕末には篤姫や幕臣の勝海舟、

維新後もロシア皇帝ニコライ2世、

英国国王エドワード8世が皇太子時代に訪れています。







薩摩焼

16世紀末に朝鮮から渡来した陶工によって始められ、

鹿児島を代表する工芸品となりました。

豪華絢爛な「近代薩摩焼」は、斉彬の代に誕生したそうです。








謁見の間

来客への応接に使用された部屋だそうです。

二間続きで、廊下も畳敷きで、

一度にたくさんの人と会うことができたそうです。






御居間

忠義が一日の大半を過ごした部屋で、

書類の決裁を行ったり昼食をとっていたそうです。

庭園全体を最も美しく見られる部屋で、

天気の良い時は、

桜島が正面に見えます。







御寝所(寝室)

この部屋の床下には、

もみ殻が敷き詰められた層が設けられていて、

断熱材の効果を果たていたそうです。






御湯殿(お風呂)

当主専用の浴室。

当時は、別な場所でお湯を沸かし、

それを運んできていたそうです。







中庭

池をのぞむ中庭。

池の中には八角形のくぼみがあり、

中国文化(風水)の影響ですね。










釘隠

釘を隠すために、

邸内に11種類あり、

薩摩焼で「桜島大根」がデザインされたものや、

幸福の使者と考えられたコウモリの姿のものもありした。






忠重の部屋

30代忠重が12歳まで過ごした部屋。

忠重は父・忠義の死にともない家督を継ぎ、

公爵となりました。

後に海軍大学校教官、英国大使館付武官を勤めました。









鹿児島 世界文化遺産

オリエンテーションセンター

令和元年(2019)11月に新たに誕生しました。

ガラス張りの窓からは、反射炉跡が一望でき、

薩摩の近代化ストーリーを楽しく学ぶことができます。

斉彬様の思いや反射炉の構造、

世界遺産登録の流れを分かりやすく紹介されています。





仙巌園を見学して、

斉彬様が私たちに遺したメッセージを感じます。






つづく











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